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2009/07/16

萌え(燃え?)

昨夜.「不確実性下での地域間移動モデル」の数値計算を考えようと論文を眺めていたら,「偏微分方程式制約つきの標準形相補性問題」が「制約なしの一般化非線形相補性問題」に帰着することを発見.なかなか綺麗な構造を持ってる.

午前中.需要不確実性下での通行権取引制度で,試行錯誤的に発行量を調整するプロセスが,線形計画問題の厳密解法として解釈できることを証明.

午後,HKSTSに向けて論文執筆.

夕方,TA講習会.


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今日の午後,学生が相談に来た.「英語のテキストを正しく理解するにはどうしたらいいですか?」という質問.これに対して,僕はこう答えた.「英語を読めばいいよ.きみたちは,そもそも,英語を読んでいない.そして,それに気づいてすらいない.」

僕もそうだったが,最近の学生は,判らない英単語に遭遇するたびに電子辞書やインターネット辞書を引く.かれらは,この行動を「英単語の意味を調べている」と表現するが,それは全くの誤りである.辞書に載っているのは「英単語に対応する日本語単語」であり,その単語の「意味」では無い.

そして,かれらは,この写像された「日本語単語の羅列」から,もとの英文の意味を「再構築」することを「英語を読む」と表現しているのだ.だから,かれらは,英語を読んでいない.日本語の羅列に変換する時点か,そこからもとの意味を再構築(というか,たいていは「想像」に近い)する時点で,英語で書かれた元の文章の意味・文脈を失っている.

このことを具体例を用いて言い換えれば,
"Changes in the process over any finite interval of time are normally distributed, with a variance that increases linearly with the time interval." ([1, pp.63])
という文章を,
「任意の有限な時間間隔全体のその過程の変化は,時間間隔について線形に増加する分散を持つ正規に分布する
という日本語の羅列に変換できたところで(かなり精度は高いと思うが),その「意味」を説明していることにはならないのだ.

辞書は個々の「英単語」を一つ以上の「日本語単語」へ変換する一対多写像だ.だから,どんなに良い辞書を使っても「英文(=英単語の順列)」を「日本語文(=日本語単語の順列)」に変換することさえ不可能だ.まして,その「不正確な日本語文」から再構築した日本語の文章の意味が,もとの文章の意味と一致する可能性は限りなく低い.

ついでに言うと,その「日本語の文章の意味」が判らない,と言って Wikipedia で調べると,さらに不正確になる.

僕が辞書を引かずに英語を読んだり,英英辞典を引いて英単語の意味を調べるのは,英語が得意だからじゃない.英語の文章の意味をそのまま理解するための訓練なんだ.

なんか熱血.まだ触発されてるなぁ

[1] Dixit, A. and Pindyck, R., Investment under Uncertainty, Princeton University Pr., 1994.